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心が立ち直るその日まで
災救隊 被災地リポート

瓦礫や汚泥を、スコップや重機で取り除く隊員たち(4月23日、気仙沼市岩月千岩田地区で)「東日本大震災」から50日余り。被災地では復旧・復興に向けた作業が繰り広げられているものの、被害が広範囲にわたることなどから、依然として倒壊家屋や瓦礫が放置されたままの地区が少なくない。前号既報の通り、災害救援ひのきしん隊(=災救隊・田中勇二本部長)は、4月18日から津波で甚大な被害に見舞われた宮城県気仙沼市へ出動。沿岸部の住宅地で、倒壊家屋の解体や瓦礫の撤去作業を続けている。実動6日目の23日朝、岩手県一関市内の宿営地を出発する隊員たちに同行した。

一関市内の千厩宿営地から、出動現場の気仙沼市岩月千岩田地区までは車で約1時間。現場での作業開始は午前9時だが、先発隊は2時間前の7時に出発する。
「4月24日までのマグニチュード7以上の余震発生確率は10パーセント」との気象庁の発表を受け、確率が10パーセント未満に下がるまでは、津波に備えて重機やトラックを高台の空き地へ待避させてあるため、先発隊が毎朝、車両を現場へ移動させているという。
折からの小雨のなか、待避所を出たダンプカーに続いて、緩やかな坂道を車で下っていくと、眼下に目を覆いたくなるような光景が広がった。

「いまでも涙が出てくる」降りしきる雨の中、慎重に作業を進める(同)

宮城県の北東部、岩手との県境に位置する気仙沼市は、マグロの遠洋漁業の基地として知られ、東北有数の水揚げ量を誇る港町。地震と津波により、市場や水産加工場が集中する港湾部が壊滅的な被害を受けたほか、倒れた漁船用燃料タンクから出火し、市街地一帯が大規模火災に見舞われた。
市街地から5キロメートルほど南にある千岩田地区は、火災の被害は免れたものの、数キロメートル沖に浮かぶ大島との間に押し寄せて増幅した波が、海岸線を南北に走るJR気仙沼線の高さ10メートルほどの高架を軽々と越え、乗客を避難させた直後の車両2両をレールごと押し流した。
平地にある家屋は、ことごとく津波の被害を受け、全385世帯のうち、全半壊・床上浸水が58軒。逃げ遅れた人や、寝たきりの高齢者をたすけに戻った人など12人が命を落とした。
住民の多くは市内の避難所へ身を寄せており、住宅地は静まり返っている。それでも、隊員たちがパワーショベルやダンプカーを動かし始めると、浸水被害を免れた数人の住民が出てきて、「昨日はありがとうございました」と、隊員たちに口々にお礼を述べた。
夫婦で自宅の中を片づけていた女性は「最初の波で乗っていた車ごと流され」脱出しようとシートベルトを外した瞬間、次の波が来た。沈みかけた車から押し出され、必死にもがいて何とかたすかった」と"あの日"の体験を語る。
「避難所から家に戻ってみると、建物は無事だったけれど、中も外も、どこから流れてきたか分からない物があふれて手がつけられない状態。天理教さんが来てくださらなかったらと思うと……」
9時の作業開始を前に、同地区の自治会長を務める河野弘志さん(70歳)とともに、地区内を歩いた。
辺りには、磯の香りに油のようなにおいが混ざった独特の異臭が漂う。晴れた日には、粉塵が風で煽られるため、マスクが手放せないという。
「自衛隊が入った後も、道路脇や私有地の瓦礫は手つかず。家や家族を失った住民の多くは、懸命に前を向こうとしている。けれど、瓦礫を片づけないことにはその一歩が踏み出せない」と河野さん。
災救隊では震災発生後、比較的早い段階から気仙沼市内で給水活動を続けており、河野さんは、市のボランティアセンターや地域のボランティア組織を通じて災救隊の存在を知った。
「視察に来られた田中本部長から、天理教の災救隊の説明を受けたときのことを思い出すと、いまでも涙が出てくるんです」一時は「この地には、もう住めない」と諦めかけた住民の中にも、きれいに片づけられた家や、少しずつ元の姿を取り戻しっつある町の様子に勇気づけられ、生活再建を期して自宅へ戻るケースが増えているという。実働現場の付近には、津波で押し流されたJR気仙沼線の車両が横たわっていた(同)
この日、作業に当たったのは、埼玉教区隊の15人と三重教区隊の16人。次第に雨脚が強まり、足場がぬかるむなか、かっぱ姿の隊員たちは」道路脇に積まれた瓦礫や壊れた自動車などは重機を使って、住宅に流れ込んだ家財道具や側溝にたまった泥などはスコップや手作業で、手際よくトラックやダンプに積み込んだ。荷台に積み上げられた瓦礫は、5キロメートル離れた漁港に設けられた瓦礫の仮置き場へ運んだ。
午前の作業を終え、隊員たちが現場拠点の自治会館へ戻ると、自治会の婦人部の女性3人がお湯を沸かして待っていた。毎日、隊員の昼食にカップラーメンを差し入れているという。
新谷和延・災救隊本部主事は「災救隊は自営自足が原則だが、住民の方々の善意ということで、ありがたく頂いている。まだ寒い日が続く中で、隊員一同"一杯の真心"の温かみが身に染みている」と話した。

「沖縄からやってきました」

大雨と強風の予報により、この日の瓦礫撤去作業は午前で終了。午後は、沖縄教区隊による気仙沼市内での炊き出しの様子を取材することになった。
実は、沖縄教区隊が海を越えて県外の被災地へ赴くのは、今回初めて。古堅宗康隊長(60歳・芦沖分数会長)以下隊貞6人は、4月18日の教祖誕生祭に参拝した後、陸路で現地入り。20日から各地の避難所を巡回して炊き出しを実施し、実動最終日となったこの日は、市南部の小泉中学校で夕食500食分の調理に取りかかった。
体育館前にテントを張り諷理器具や具材をトラックから運び出す。雨中の作業でも、通りかかった避難住民に「こんにちは」と声をかけるなど、隊貞たちは常に明るさを絶やさない。
ほとんどの隊貞は、東北地方へ来るのも初めて。隊員の一人は「朝晩の寒さに慣れるまでが大変だった」と笑顔を見せる。
「それでも、被災地の人たちに元気を出してもらえるのなら何度でも来たい」と口をそろえる。取材の際にはすでに配り終わっていたが」被災者の疲れが少しでも癒えればと、沖縄から持参した黒砂糖を食事に添える気配りもあった。
館内での配食前には、避難所の責任者に促された古堅隊長が、マイクを手に、「天理教の"一れつきょうだい"の教えを実践するために沖縄からやって来ました」とあいさつ。宿営地周辺に住む教友が差し入れた手作りのおかずや菓子とともに、隊員が豚汁の入った容器を手渡すと、避難住民たちにも笑顔が広がった。 調理した豚汁を配食する沖縄教区隊の隊員たち(同、小泉中学校体育館で)その一人、自身も沖縄出身という女性は、隊員の中に実家近くの教会の関係者がいると知り、故郷の思い出話に花を咲かせていた。
「こちらへ嫁いで、かれこれ30年余り経つけれど、こんな所で"島人"に会えるなんて夢みたい。きっと、神様が出会わせてくれたのね」と涙交じりに微笑んだ女性は、片づけを終え、トラックに乗り込む隊員たちを最後まで見送っていた。

中学校に隣接する土地では、仮設住宅の建設が始まっていた。完成すれば250人が入居できるが、それでもなお、避難所生活を余儀なくされる住民のほうが多いという。
市が、町が、村が復興し、難渋を抱えた人々の心が立ち直るその日まで。被災地での"一れつきょうだい"のたすけ合いは続く。
文=榊 幸浩
写真=西山恭一

(『天理時報』 第4229号、6面記事の一部転載)

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